
三鷹文学散歩 「禅林寺の文学」
〜森鴎外・太宰治・田中英光〜 |
講師:大河内昭爾氏 日本文芸家協会理事、元武蔵野女子大学学長
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【日時】平成17年11月20日(日) 午後1時30分〜4時00分
【場所】三鷹駅前コミュニティセンター 地下1階大会議室
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講師紹介 大河内昭爾氏
昭和3年鹿児島に生まれる。
昭和28年早稲田大学第一文学部卒業。
同年から平成6年まで嘉悦女子高、武蔵野女子学院、武蔵野女子大学、
国学院大学、早稲田大学等で教鞭をとり、平成3年から6年までは
武蔵野女子学院院長。平成10年同大学教授を定年退職し、同年4月から
名誉教授として現在にいたる。日本文藝家協会理事等を兼務。
平成16年 瑞宝中綬章、都城市文化賞を受賞
著書には[本の旅]、「朗読日本文学大系」全8巻、
「文壇人国記」-東日本・西日本-、「井伏家のうどん」など多数。 |
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◇開会挨拶 三鷹市高齢者支援室 井上室長
いきいきプラス発足3年。活動状況および規模を紹介。
三鷹市としても地域に貢献できる事業として推進。
来年3月第三次基本計画を策定にあたり、団塊の世代を受け入れ、
介護予防の観点から諸策の推進を計る。
◇いきいきプラス紹介 いきいきプラス 事務局長 黒澤繁夫
◇講演
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講演は、2時間余にわたり、軽妙な話口で話題豊富な講演会であった。
演題「禅林寺の文学」からは、ややそれる感じはあったものの、氏の豊富な知識、経験、文壇での交流、
大学の運営について、「三鷹文学散歩」という標題に相応しく、話題が縦横無尽に飛び交い、最後まで聴衆を飽きさせず、
時間切れ的な雰囲気で講演を終了した。
<印象に残った話題>
・ 武蔵野女子大学に初めて幼稚園舎を建設したときの経緯。
・ 「文明」と「文化」は相いれない、「文明」は「文化」を犯す。
・ 「創造、創作」ばかり考えている人は“天才”・・芸術家、文学者⇒アウトサイダー
・ 「継承」するのは“秀才”・・・お役人など
・ 田中英光は太宰治の信奉者。太宰のお墓の前で自殺を計る。(実は未遂に終り後病院で死亡)
・ 中学生の頃終戦後原爆被災直後の姉を訪ねて広島へ行く。
そのときテント作りの本屋で田中英光の「オリンポスの果実」を発見。感激する。
自分が文学を志すきっかけとなった。
亀井勝一郎はこの書を「一字づつピンセットでつまんで食べたい」と激賞。
・ 太宰の墓前で講演会を開催したときのエピソード
:お花の稽古の女性数人が太宰の墓を参拝に来て、花を供えて丁寧に参拝。しかるにすぐ前にある
森鴎外の墓には見向きもしなかった。続いて女子学生の一団が太宰の墓に参拝にきたが、
やはり同様であった。太宰の墓には参っても森鴎外の墓に参る人は少ない。
:あるカメラマン。太宰の墓の写真を墓の上に乗って撮った。それが鴎外の墓であった。
・ 203高地の戦いでの日本軍の兵の動きを見たロシア兵、「みんなふらふらしている」と評したが、
日本陸軍は森林太郎(=森鴎外)の指導のもと、科学的根拠に立脚し東洋医学=漢方医学を排除した
ドイツ医学を採用、このため多くの兵士が脚気にかかっていたこと。
反面海軍はイギリス医学を採用。実用医学、臨床医学を根拠に脚気などは発生しなかった。
・その他、天才と秀才のちがい、11年かけてかいた「文壇人国記」の話、ハンセン病病院訪問時、
変身譚の話、小説は「根も葉もあるうそ」、多くの文壇人の関係やエピソード等々。
◇閉会挨拶 三鷹市社会福祉協議会 藤原事務局長
・先生の多岐に亘るエピソードのご紹介は楽しく拝聴でき、三鷹にゆかりある文学者の作品が一層興味深く
読むことができるようになった。
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講演会の様子 |
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